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浦和家庭裁判所 昭和50年(少)2866号 決定 1975年9月05日

少年 T・H(昭三六・三・二六生)

主文

少年を初等少年院に送致する。

理由

(罪となるべき事実)

少年は

第一  昭和五十年五月四日午後一時四二分ごろ普通貨物自動車を運転し、埼玉県戸田市○○××××番地先道路を新大宮バイパス方面から国道一七号方面に向け進行中、三台のオートバイに追い越しされその後約八九二メートル進行した戸田市○○××××番地先の信号機の交差点にさしかかつた際、信号待ちをしていた前記オートバイに追いついたがこの際三台のオートバイのうちの後部座席に乗車していた自分と同じ位の年令の男が後方をふりかえつて自分のほうを何か文句をいいたそうな顔をして見たことから前記のように追い越しされた時点で面白く思つていなかつたので増々立腹して何か文句を言つてやろう、オートバイらの連中をからかつてやろうと決意し、前記交差点を右折して浦和市方面から東京方面に向け先行して進行していく前記三台のオートバイを時速約六五キロメートルで追いかけ、約三二五メートル進行した戸田市大字○○××××番地先道路にさしかかつた前同日午後一時四五分ころには、同オートバイに追いついたので同オートバイに近接して進行すれば衝突寸前の状態にさせ狼狽させ転倒し負傷させたり、又前記オートバイの直前の進路に自車を進行させ進路を妨害すれば自車と衝突したり、転倒し負傷するかも知れないことを認識しながらあえて自車を同オートバイに近接したり、ハンドルを左右に切つて波形に進んで進行し、さらに同オートバイの進路の直前に自車を進行させるなどの行為をし、もつて○藤○一(当一七年)運転の自動二輪車に自車左側面部を衝突寸前の状態に接近させた為同人を狼狽させ自力操行不能の状態にさせ、さらにその直後、○藤の前方を進行していた○上○裕(当一七年)運転の自動二輪車右側ハンドル部に自車左後部を接触させよつてその接触により○上運転の車両を路面に横転させ、よつて同人に全治一ヶ月間を要する手根骨々折の傷害を、同人の同乗者○泉○(当一五年)に加療約一〇日間を要する頸部捻挫背部打撲右上腕打撲の傷害を、さらに前記のごとく○藤運転の車両を狼狽させ自力操行不能の状態にさせた為、同車を○上運転の車両が横転する状態で滑走しているところへ○藤の車両と接触させよつて同車を路面に転倒させた為同人に同乗の○藤○二○(当一五年)に加療約七日間を要する左眼高部肩部肘部膝手掌部打撲症の傷害を負わせるに至つた

第二  公安委員会の運転免許を受けないで前記日時場所において前記車両を運転したものである

(適用法令)

傷害につき刑法二〇四条

道路交通法違反につき同法六四条、一一八条一項一号

(事実の認定)

送致にかかる本件少年保護事件記録中昭和五〇年五月八日付司法警察員小林行男作成の実況分調査、○上○裕、○泉○、○藤○一、○藤○二○、○上○(第一回)○子○幸の各司法警察員に対する供述調書安藤直人、西川孝戒(二通)作成の診断書によれば○上○裕、○藤○一及び○上○の運転する三台の自動二輪車が一列になつて幅約六・五米の道路の左側を時速五〇粁位で通行中、後から少年の運転する普通貨物自動車が追越禁止区間であるにも拘らずスピードを上げて自動二輪車を追越そうとし、しかも対向車もないのに急に自動二輪車の方に巾寄せをして来たこと、その結果「罪となるべき事実」記載のような自動二輪車転倒の事故が起き、○上○裕、○泉○、○藤○二○が怪我をしたこと、その事前に少年運転の普通貨物自動車が三台の自動二輪車に追越されており、少年がその三台の自動二輪車に追越されたことで頭に来ていたことが認められる。更に、昭和五〇年八月四日付司法警察員山崎隆作成にかかる実況見分調書及び同年同月五日付少年T・Hの司法警察員に対する供述調書によれば、少年が三台の自動二輪車に追越されたことに憤慨し、巾寄せをしてやろうと思つて、自動二輪車を追い越しながら故意に自己の運転する貨物自動車を三台の自動二輪車の方に巾寄せして行つたことが認められる。少年の当審判廷における供述においても、少年は故意に巾寄せ運転をしたことを認めている。

相当のスピードで走行中の自動二輪車を貨物自動車で追い越しながら自動二輪車に巾寄せすれば、自動二輪車に接触し、或は接触しないまでも自動二輪車の運転者が平静を失つて車を転倒させそれによつて運転者又は同乗者に傷害或は少くとも身体に不法な攻撃を加える危険のあることは当然予見されることであつて、少年が一四歳で無免許であつてもその程度の判断はできた筈である。にもかかわらず、少年が故意に巾寄せ運転をしたことは傷害或は暴行について未必の故意があつたというべきで、本件については傷害罪の成立を認定するのが相当である。少年が一四歳であることは戸籍上明かであるから、公安委員会の運転免許を有しないことはいうまでもない。

(処遇の理由)

少年は小学校五年生頃から窃盗の非行があり、中学に入つてからは身体が大きく腕力が強いことから、上級生の不良グループの仲間となり粗暴な行為が多く、児童相談所の指導を受けていたが、改まらず、三年になつてからは○○中学の番長を自認し、喫煙、怠学、暴行等をくり返し、学校の指導に従わず、恐いもの知らずで学校もその指導に手を焼いている状態である。

少年は今回の非行についても頑強にこれを否認していたもので、自己の非行についても明かな証拠をつきつけられない限りはこれを認めようとしない。少年は知能指数はむしろ良好であるが、学校の成績は劣悪である。家庭環境に知的雰囲気がないことや、父の生活態度や価値感が、利己的で反社会的であることが、少年の能力の開発や性格の形成に大きな影響を与えているものと思われ、少年に対しては今までの生活態度や行動規準について、この際強力な反省と指導の機会を与えることが必要である。

少年の父母が少年に対し深い愛情をもつていることは理解できるが社会に適応できぬ少年の生活態度を指導教育する力はなく、又父母はその身内に少年を頂けて指導を依頼したいと述べているが現在の少年の問題点は既にこれらの人々の好意による指導の限界を超えており青少年指導の専門家に委せ強力な矯正教育を施すことが必要である。よつて少年法二四条一項三号少年審判規則三七条一項により主文のとおり決定する。

(裁判官 三渕嘉子)

参考一 付添人弁護士山田茂・清水徹作成の抗告申立書

少年 T・H

右の者に対する傷害、道路交通法違反、少年事件について、昭和五〇年九月五日浦和家庭裁判所において少年を初等少年院送致に処する審判の宣告を受けたが、この保護処分は事実誤認等の不当があるので抗告の申立をする。

第一 本件は傷害の点で故意犯と認定されているが、この認定には疑問がある。

昭和五〇年八月四日付司法巡査に対する少年の供述調書によれば「今考えてみるとあのようにハンドルを切つてはばよせをしたならば、当然道路外のそつこうに落ちるか、自分達の車に衝突して死亡するような大きな事故になると思います。しかし、当時自分としては頭にきてしまつてカッカカッカしていたのです。そのようになるとは思つてもいなかたのです。今思うに自分でもばかなことをしてしまつたと思つているのです。」とある。

この供述は、少年が事実を認めた後の最初の供述であり、供述も他の部分を含め自然さがあり信頼性の高いものといえる。その後の供述調書により少年は故意を認めるのであるが、それら調書は整然とした理詰めのもので、むしろ不自然さがあり、何度も念押しされ取調べられているうちに次第に自己の記憶と異る方向に行つてしまたつのではないかと思われる。

第二 ひき逃げの点につき、少年は被害発生の認識があつたものと認定されているが、この点も疑問である。

昭和五〇年八月七日付司法警察員に対する少年○子の供述調書によれば、「-『いまバイクに巾よせをしたとき、ジーと音がし何かにぶつかつたか倒れたようだつたよ』(と少年○内が言つたが)それを聞いて僕はそんなことは気付がなかつたので「そんなことはなかつた」と言うと、T・Hも同じようなことをいつており、『そんなことはないよ』といつたので、○内は『気のせいかな』といつたのです。-」とある。

もつとも、昭和五〇年八月四日付実況見分調書中で少年は「-(事故現場から一、六〇〇メートルほど走行した後で)一台のオートバイが追つかけてきた。それで、やつぱりぶつけてしまつたな-やばい、と思い-」との供述があるがこれとて、被害発生の認識を確定的に裏付け認定できるものではない。

巾よせした以上、被害発生を認識していたはずだという理詰めの観念論が取調官の頭の中に存し、それによつて誘導された供述なのではないかと思われる。

第三 次の点を情状として考慮すべきであるのに原決定はその考慮が不充分であり、保護処分を不当に重からしめているものと思われる。

(1) 送致書自体が認めているように、本件は被害少年等の挑発行為が起因となつている。

(2) 幸いに怪我の程度は軽く、各被害者につき示談が成立している。

(3) 逮捕から検挙にいたるまでの態度(特に犯行の否認)が問題になつているが、少年の両親が少年を信頼していることに対し、少年は犯行を自白しかねていた面が多分にあつた。そのことは、昭和五〇年六月二七日付司法警察員に対する少年の供述調書の中で「今にも白状しそうになりながら母親の手前できなかつた。」とあることからもうかがえる。また、一旦白状しはじめてからは、すべてを認めている点にも少年自体の素直さが感じられる。

(4) 在学中の学校の諸先生方の供述は必ずしも適切なものとはいえない。

第一に、右学校の風紀の悪さには定評があり、諸先生方自身が悪い生徒を毛嫌いし、邪魔者扱いしている面がある。少年も二年生の頃には「三年生の命令で動いていた」(生徒指導カード)ものであり、少年があたかも突然変異のように悪くなつたのではない。

第二に、右諸先生方と少年の両親との間には余りに大きな対立がある。諸先生方の供述によれば、「両親は失業中のくせに、パチンコを昼間からしているようだ。外車を乗り回しているようだ。高価なぜいたく品を買つているようだ。そのくせ、家賃を滞納しているそうだ。」と口をきわめて親を悪く云う。この対立は、少年の両親が少年の指導につき諸先生の助言に必ずしも従つていないことに原因があるようである。しかし、そのようなことが少年の評価に影響しているとすれば、少年に酷といえる。

第三に、右に関連して、諸先生は少年の両親が全く少年に無関心であり、保護能力に欠けるという。

しかしながら、本件に関し両親は八方手をつくして少年を庇護し、被害者との示談、付添人の依頼、教育関係者への嘆願、親戚から隣近所への助力要請と、ほとんど考えられる限り努力をしているのである。付添人の見る限り、これが子供に無関心で、保護能力に欠ける親であろうかと疑わしくなる。現に少年も、弁解録取書にみられるように「お母さんを呼んでください」と実に三度に渡り述べており、少年と親との絆の強さがうかがわれる言動が各所にあるのである。

(5) 少年は本件事故を一つの契機に、一からやり直すため、両親、親類が相談の上、新潟の親類、T・S(五一歳)同T・S子(四九歳)の夫婦に引き取られることに話がついており、同地の中学に転入することになつている。

(6) 少年も深く反省しており、右の新潟行きにも進んで合意しやり直しを誓つている。以上

参考二 抗告審決定(東京高 昭五〇く一七〇号 昭五〇・一〇・一六第一二刑事部決定)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の趣意は、附添人両名が連名で差し出した抗告理由書と題する書面に記載されたとおりであるから、これを引用する。

抗告理由第一点(傷害罪認定の点)について。

少年がいわゆる幅寄せをしたことは、少年の原審審判廷における陳述に徴しても明らかであるところ、その幅寄せ行為の具体的態様、それをするに至つた動機、現場の道路状況、各車両の速度や走行状態、発生した結果等を総合して考察すれば、少年の右の所為は本件各被害者の身体に対する不法な有形力の行使に当たり(なお、傷害の結果についても未必的な故意があつたと認められる)、それぞれ傷害罪の成立することが明らかというべきで、原決定に重大な事実誤認があるとはいえない。

抗告理由第二点(ひき逃げの点)について。

所論は、少年に被害が発生したことの認識があつたかどうかを問題とするが、原審の認定した本件の犯罪事実の中には、ひき逃げつまり救護義務および報告義務違反の事実が含まれていないから、所論は前提を欠き失当である。

抗告理由第三点(処分不当の点)について。

所論は原決定に処分の著しい不当があると主張するものであるが、関係記録によつて認められる本件犯行の内容(かなり悪質でその非行性の深さを窺わせる)、および、少年の非行歴、性格、行状、本件犯行後の態度、家庭環境などに鑑みれば、他面において所論の指摘する諸事情をできるだけ斟酌しても、原審が「処遇の理由」と題して詳細に説示するとおり、少年に対しては強力な矯正教育が必要で、一時身内に預けるなどの在宅保護の方法によつて少年を健全に保護育成することは、極めて困難と考えられるのであつて、原決定は相当として是認することができる。

以上のとおり論旨はすべて理由がないから、少年法三三条一項後段、少年審判規則五〇条により本件抗告を棄却する。

(裁判長裁判官 戸田弘 裁判官 大沢博 裁判官 本郷元)

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